東京シューレの見解について 追記



id:about-h:20050411で書いたことの追記。


この見解文に登場する2人が苦しんだと言っていることは事実であろうし、彼らが貴戸理恵に自分が話したことを削除してくれというのは、全く問題がない。ただ、それを東京シューレの見解文でやってしまったことに問題がある*1


さて、2ちゃんねるにこんな書き込みがあったらしい(東京シューレ出身者が書き込んだのではないかと推測できる)。これはおそらく本音の部分ではないかと思われる。

87 :名無しさん@社会人:2005/04/10(日) 18:21:59
>>81
ううん、ぜんぜんそんなことはないね。
貴戸理恵の言っていることなんて、タテマエに対するウラ。ただ、子どもは大人や親の前では遠慮する。大人たちは、奥地先生や渡辺先生らの前ではガマンする。それだけ。
貴戸は特権階級なので、長老が死ぬ前に自由に発言できる身分にあるだけ。
そのほか、たいていの人間は、今ある最小限のオプションさえつぶされてはホ−ムスク−リングやフリ−スペ−スひとつ選べない。なので、昨今の子どもたちに風当たりの強い政治状況の風向きを見て発言をひかえている・育ちのよい、浮世離れした世界の住人である貴戸は時局への配慮も、コミュニテイ内部の混乱も、それがひいては当事者たちの発言をゼロ回答扱いさせることになるリスクも考慮せずに気楽に浅薄にものを言っちゃているのではないだろうか?
正直言うと、当事者のひとりとしてなんら新しい発見ではない。気の会う仲間内では、自分の知る限り十数年前からずっと繰り返し語られてきたことだ。フリ−スク−ルや親の会のなかでもとりわけ仲のよい家族や友達とだけ、酒でも飲んだときにこっそりと語られてきたことにすぎない。
学者世界にとっては新発見でも、当事者のコミュニティからすると、白ける話題。いや、タイミングやシチュエ−ションをわきまえない迷惑で思慮のない情報爆弾だった。

現在の不登校を巡る状況を考えたときに、ひきこもりと言う問題は外せない。稲村博不登校は「無気力症」になるという予言は当たった。これは間違いない。


2ちゃんねるには次のような書き込みもあった。

これと同じ「物語」を共有するのが稲村博氏や斎藤環氏であることを知らない読者は、この著者の「物語」を事実であると誤認することになる。

貴戸は稲村と同じようなことを言っているという解釈だ。これは、東京シューレの見解文にも登場していた*2


これはもちろん不当な解釈であって、両者の言ってることは同じではない。ただ、東京シューレや居場所関係者がこのように認識する理由は考えておかなくてはならない。東京シューレというのは精神科医などに対して「登校拒否は病気じゃない」と反論することによって運動をしてきた経緯がある。その時、論敵となったのが精神科医稲村博だったわけだが、結局、稲村の予言通り不登校から無気力症(=ひきこもり)になる人が大量に現れた。ひきこもりの大量発生が東京シューレの運動にダメージを与えたことは間違いない。


つまり、貴戸理恵斎藤環稲村博)も運動を脅かす存在として認知されているために、同じ事を言っているかのように攻撃が行われるのであろう。


ひきこもりの存在は不登校業界にとっても無視できないものになっている。だから、もうそろそろ稲村・斎藤を批判する運動はもう限界に近づいているのだと思う。そのことを考えると2ちゃんねるに書き込まれた「タイミングやシチュエ−ションをわきまえない迷惑で思慮のない情報爆弾」という認識が既に時代錯誤であると指摘しなけれればならないんだと思う。


ひきこもり50万人の存在を隠蔽して不登校のことを考えるのは無理がある。だから、稲村・斎藤を批判して守るものというのは既に存在しないはずなのだ。稲村・斎藤を批判して守られるものは、ひきこもりを隠蔽した不登校現象か、ひきこもり現象がクローズアップされる以前の90年代の不登校現象でしかない。


ひきこもり経験者の林尚実は著書の『ひきこもりなんて、したくなかった』で次のように言っている。

 私自身は医療不信だったわけではないのです。むしろ、体中がボロボロになっていたので、治療を受けられるものなら受けたいと思っているところもありました。
 でも、治療を受けられなかった背景には、その後、両親、とくに母親のほうが不登校児の親たちのサークルにのめりこんでいったことがあると思います。それは日本では最大の不登校関連のサークルであり、フリースクールを開設したり、主催者や関係者が本を出したりと、かなりの影響力がありました。

(中略)

 当時、ある国立大学の精神科の教授が不登校の治療方法を真剣に研究しようとしていました。「いのちの電話」の創設にも尽力された、献身的な医師だったといいます。
 その医師は、不登校の子どもの素質や家庭環境に関する調査をしたり、予後の調査をしたり、治療方法に関する検討をしたりしていました。そのなかには、いまの私にとっては貴重な見識も含まれていたのです。
 その教授を攻撃したのは、この不登校児の親たちのサークルでした。このサークルが新聞社に働きかけ、当時の文部省に働きかけて、激しく批判をしました。そのためか、この教授は影響力を失い、むしろそのサークルの主張が少しずつ世間に受け入れられていきました。不登校を教育や医療の問題としてとりあげるよりも、放任する方向へと世論が傾いたのです。

 −−林尚実,2003,『ひきこもりなんて、したくなかった』: 62-5

ラディカルな形ではあるが、林尚実の記述の中にひきこもり経験者が不登校業界に対して持ってる「いらだち」が示されていると思う。東京シューレが稲村批判をしなくても、どこかの団体が同じようにやっただろう。だから東京シューレ奥地圭子が活動したために不登校が放置され、長期化し、ひきこもりの大量生産が始まったとは思わないし、林尚実の言ってることが一般論としてどこまで妥当なことかも分からない。しかし、稲村・斎藤を批判して何かが得られる時代が終わったのは確かなことだと言えると思う。


東京シューレの主張のリアリティーも、運動としてのリアリティーも今ではかなり低くなってしまっている。だから、今回の貴戸本騒動を第二の稲村事件にしてはいけないと個人的には思う。今回の騒動は不登校の運動が新しい局面に入っていくことのできる契機であって、これを東京シューレが敵対であると認識するなら、東京シューレのリアリティーは今よりもまだ一層低くなっていくのではないか。


東京シューレの運動によって救われてきた人がたくさんいるし、今も東京シューレ不登校当事者の力になっているのは間違いない。これからも東京シューレが活動していく中で、今までの運動の一貫性を最優先にするのではなく、時代に合った不登校の処方箋を東京シューレには描いていってほしい。そのためには今回の貴戸本騒動が絶好の機会になり得ると個人的には思っている。

*1:個人的に削除要求をすれば貴戸は応じたであろう。個人的にできることをわざわざ団体の公式見解の中でやったことの問題。これが前のエントリで言った政治的責任にあたる。このことはある人と電話で話して是非書いておかねばと思った

*2:東京シューレ見解文より「著者は、不登校を治療の対象とする見方を批判する立場をとりながら、巧妙に「不登校は病気である」と受け入れるように促している。また、不登校を肯定すると言いつつ、学歴に頼らない生き方はよくないのだ、と主張している。」