ひきこもりとリストカットと

リスカ*1していた当時は、やっていなかったら生きていけなかったと思います。だから、自分の体を傷つけたことに後悔していません

−−ロブ@大月,2005,『リストカットシンドローム2』ワニブックス : 110 (カヨさんのインタビュー)

自傷が必要な人もおるんやろうけど、経験者からするとやらないにこしたことはない。だって、長い目で見て、絶対に自分にとってプラスな行為じゃないから」

−−ロブ@大月,2005,『リストカットシンドローム2』ワニブックス : 133 (すみれさんのインタビュー)

この捉え方は「ひきこもり」に似ている。上の文章のリスカの部分を「ひきこもり」に入れ替えるとこうなる。

  • 「ひきこもり」をしなければ生きていくことが出来なかった
  • 「ひきこもり」をしたことを後悔していません
  • 「ひきこもり」はやらないにこしたことはない
  • 「ひきこもり」は長い目で見て、絶対に自分にとってプラスな行為じゃない


ひきこもり経験者が自身の体験を語る語彙によく似ている。肯定も否定も出来ないが、やらないにこしたことはない。でも、その時、引きこもることをしなければ生きてはいけなかった。


ひきこもりについて語られるのかと錯覚するほど「リスカ」と「ひきこもり」は似ている。


ひきこもりは男性が多く、リスカは女性が多い。原因となっているものは似ていて、性別によってその現れ方が違うのではないだろうか。



以下はリストカッターについて。

一般的に言うと、リストカットしている子は〝クラス″という枠組みの中で環境に過剰適応しているか、まったく適応していない両極端なケースが多い

−−ロブ@大月,2005,『リストカットシンドローム2』ワニブックス : 171 (名越医師のインタビュー)

これもひきこもりと類似している。学校でドロップアウトして不登校となって引きこもる人*2。学校では(過剰)適応していたのに、大学でやることが分からなくなって引きこもる人・就職活動で学校的振る舞いが通用せずひきこもる人・学校的振る舞いが仕事で通用せず引きこもる人。


ひきこもりにもリスカと同じく2つの傾向がある。そして、そのどちらも「学校」が原因として考えられる。


学校に適応できないとひきこもるかもしれないが、学校に適応してもひきこもるかもしれない。


いずれこの点を詳細に論じることをしなければならない。


以下は症状改善について

「やっぱり、自分の病気に問いを持ち続けている人は治っていきます。自分の病気に問いを持ち続けていれば、診る側にぶつける問いの質も上がってくる。精神科を受診して受動的な態度で〝治してもらおう″というのでは、いつまでもよくなりません」

−−ロブ@大月,2005,『リストカットシンドローム2』ワニブックス : 177 (名越医師のインタビュー)

確かにその通りであるとともに、心強い一言。


生きることに「疑問」を持ってしまったら「問う」しかない。「疑問」を隠蔽しても、身体や心に何かの形で症状として現れる・・・だから問い続けること。そしてその問いのレベルを上げていくこと。生きるためには「問う」ことが必要だ。


最後に著者のメッセージを引用しよう。

 自傷行為をやめた人たちは、口を揃えて言う。
 「やめた今考えれば、リストカットにメリットは一つもなかった。ただあのころ、生きていくためにたった一つの手段にすがっていた自分を、責めるつもりはない」
 自傷行為によって生きている実感を得るのは、一時しのぎでしかない。そこから抜け出すには、試行錯誤が不可欠だ。勉強に、恋愛に、仕事に正面からぶつかり、失敗したら立ち上がる。それを繰り返すことで僕たちは自分の能力を知り、社会と向き合えるようになる。
 リストカットする人たちに、僕は「切っても、生きているだけでオッケー」と言葉をかける。彼ら・彼女たちに安心してもらうためだが、真意はむしろその先にある。彼ら・彼女たちが絶望の境地から自力で這い上がり、試行錯誤の末に希望を獲得することを期待しているのだ。

−−ロブ@大月,2005,『リストカットシンドローム2』ワニブックス : 13-4

あえて付け加えれることはない。大事なことはここに言い尽くされているように思う。

*1:リストカットの略

*2:ちなみに自分