2005-02-01から1ヶ月間の記事一覧

淡路プラッツ講演会

NPO法人淡路プラッツの2005年講演会――ひきこもり・ニート・不登校を、3つの分科会で第1分科会の方におじゃまさせていただきました。 ●第1分科会 動けない青年たち ★キーワード――「純粋」ひきこもり、親(へ)の対応、医療、「発達」、訪問、アウトリーチ…

東京都立大学の石川良子さん(ひきこもり研究者)が日記からブログに移行されたようだ。

個人的なことは政治的なことである

「頑張れ」という励まし言葉がありますが、この表現が嫌いです。 http://www.hatena.ne.jp/1087446272 via http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20050222 小学校だったかの教科書に似たようなことが書いてあったような記憶が頭の隅にある*1。そんな大昔のことが…

平坦ではない戦場で僕らが生き延びること

「平坦な戦場で僕らが生き延びること」とは探しても見つからない「唯一性」を見つけることだった。そして「当事者による不幸競争」も「唯一性」を見つけることだ。両者とも「唯一性」を見つけることは共通している。しかし両者には明確な違いがある。それは…

唯一性をめざして

id:ueyamakzk:20050104でid:ueyamakzkさんは「属性と課題の峻別」を唱えている。この峻別の動機となっていることの一つに「当事者による不幸競争」からの決別ということがあったのだと思う。 ひきこもり当事者は、「あまりにも弱い自分は、強い連中に搾取さ…

唯一性の消失

私は唯一の存在である。 これは疑いなきことであるはずだった。しかし、唯一の存在であるはずの自分と他人と比べ見ると、自分という存在が抜きんでたものではないことに気づいてしまう。 そして他人との関係も交換可能だ。相手にとって目の前にいるのは自分…

平坦な戦場で僕らが生き延びること

この街は悪疫のときにあって僕らの短い永遠を知っていた 僕らの短い永遠 僕らの愛 僕らの愛は知っていた 街場レヴェルの のっぺりした壁を 僕らの愛は知っていた 沈黙の周波数を 僕らの愛は知っていた 平坦な戦場を 僕らは現場担当者になった 格子を 解読し…

正しい引きこもり方の提唱

芹沢俊介はこの本の中で「正しい引きこもり方」を提唱している。 正しくひきこもれば必ず回復する。でも、もし、正しくひきこもることができなければ長期化や暴力や犯罪が起こると芹沢は言う。 彼にとって「正しいひきこもり」とは何なんだろうか? こんなふ…

治療に対しての態度

しかし、のちに治療の必要が出てくる場合について触れますが、治療が必要になるところまでにいたるのはよほどのことなのです。そうなってしまうことの多くは、引きこもりに対する家族や周囲の人たち、そして医者やカウンセラーの不適切な対応によって迫い込…

芹沢俊介の認識

芹沢は次のようにひきこもりについて次のように述べている。 まずそこでの滞在(=ひきこもり中)の記憶がほとんどないことです。ということは閉じこもっている自分を否定的に見つめる自分(社会的自己)や、自分以外の他者の視線がないことを物語っています…

芹沢俊介『引きこもるという情熱』

このエントリでは評論家・芹沢俊介のひきこもり本を取り上げてみたい。 『引きこもるという情熱』 作者: 芹沢俊介 出版社/メーカー: 雲母書房 発売日: 2002/05 メディア: 単行本 この本のスタンスは(1)ひきこもりを肯定すること(2)支援団体や精神科医を批…

貴戸理恵の試み

この間いは不登校だけに関わるのではなく、「社会的に劣位のカテゴリーへと自己同一化を迫られた人びとが、選んだわけではない状況をいかに引き受け、存在証明を行ないうるか」という、もっと一般的な水準の問いに重なっている。劣位の自己といういわば「病…

クィア・スタディーズ

「クィア・スタディーズ」と呼ばれる研究分野がある。「クィア(queer)」とは「変態」や「おかま」という意味で、ネガティブな意味(差別語)である。「クィア」と名指される当事者自身がこの言葉を自分を名指す言葉としてあえて使おう*1と試みたことからク…

貴戸理恵『不登校は終わらない』について その5

貴戸理恵『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』で示されている方向性が「ひきこもり」における妥当性を探るためにエントリ。

少しエントリするのが遅れてしまったけども、先日id:ueyamakzkさん(上山和樹さん)とお会いして長時間にわたって話し合いをしていただいた。話し合いの中で自分が考えるべきものがいくつも出てきて、その復習していくだけで当分ダイアリーが続けていけそうな…

不登校とひきこもり

この本では15人の不登校経験者に対する質的なインタビュー調査が行われている。 本書の語り手たちは、その多くが「うまくいっている」人びとであり、第三者に自らの経験を語りうる「安定した」人びとである。その意味では、「不登校によるマイナス」を比較…

貴戸理恵『不登校は終わらない』について その4

貴戸理恵『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』についてエントリ。

社会学の判断とは?

社会学の判断とは 「風が吹くと桶屋が儲かる」ということわざがある。 風が吹く→砂ぼこりが舞う→目に入る→目が不自由になる→三味線弾きが増える→三味線の材料の猫の皮の需要が増える→猫が減る→ネズミが増える→ネズミによって桶がかじられる→桶の買い換え需要…

オルタナティブな生としての不登校

貴戸理恵は「物語」の整理に彼女はいくつかの立場を提示している。 別ウィンドウで表示(クリック) 貴戸理恵は「不登校の肯定」+「不登校によるマイナスを問題化」する立場として〈当事者〉をあげ、そこに不在があったという。 「ひきこもり」に読み替えてみ…

貴戸理恵『不登校は終わらない』について その3

引き続いて、貴戸理恵『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』についてエントリ。

「ひきこもり」がもたらす構造的悲劇

この事件については、斎藤環氏も『中央公論』2004年12月号で取り上げていた。斎藤氏の文章の題は「「ひきこもり」がもたらす構造的悲劇」というもの。まさにこの一文がこの事件を言い表しているように思われる。 この事件は言葉の本来の意味で象徴的な…

3つの両親殺し

去年の末に3件のひきこもりによる両親殺しがあった。以下はこの3件の概略。 東大阪(36歳。2004年10月19日)の事件は将来を悲観しての犯行。両親が老いて年金暮らしとなり、周りに借金をしなくては生活が維持できず、そのことに絶望しての殺害事件だ。殺人と…

「ひきこもり」がもたらす構造的悲劇

引きこもり男性、両親殺害事件 何か最近こういう事件がたびたび起きているようですが、about-hさんはどうお考えになりますか?』 id:about-h:20050130 id:cafe_noirさんにコメントをもらいましたので、エントリします。

ひきこもり問題との距離

この本で語られいることを「ひきこもり」問題に写して考えてみると、何カ所か違和感がでてくるところがある。 例えば以下の箇所。 ここには〈当事者〉の視点が不在である。〈当事者〉とは、「不登校によるマイナス」をわが身にこうむりながら不登校を自分の…

貴戸理恵『不登校は終わらない』について その2

昨日に引き続いて、貴戸理恵『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』についてエントリ。不登校とひきこもりはよく似た性質を持つ問題である。加えてひきこもりの3割〜4割は不登校からのスライド組という関連性もある。