大学について
SUISEIさんのエントリを読んでみて、樋口明彦氏*1と話したときに、樋口氏が「大学というのは問題なんじゃないか」と言っていたのを思い出した。
このブログでも大学生については溝上慎一の著書に頼る形で何度かエントリをしている(id:about-h:20050105やid:about-h:20050112)。ここにも書いたように大学という場所では何かを「強制」されると言うことがあまり無い。友人関係が固定されるわけでもないし、毎日課題が出るというわけでもない。
忙しい日々では忙しさによって「考えること」という事が忘却される。しかし、時間を持て余し気味な大学生活では、時間があるために考えなくても良いようなことを考える時間ができてしまう。例えば「将来へ不安」というもの。これはいくら時間をかけて考えても答えは出ることはない。不安を払拭するには、確固たる将来の自分像を描かなければならないけども、そんなものは将来になってみないとわからない。考えても出口は見つからない。
このような「時間がある」「自由である」ということが「不安」を増大させる。サークルに加入する大学生は「コンパ」をこなすことによって不安を忘却し、ダブルスクール族*2は一般大学生からアドバンテージを取っているということで不安を忘却する。
id:about-h:20050112でも書いたように、不安があっても忘却する手段を持ち合わせている人はマシかもしれない。不安を忘却する手段を持っていなかった人は悲惨だ。不安はどんどんと高まっていって、どうしようもなくなりひきこもるかもしれない。「ひきこもり」になった人はたまたま不安の忘却の手段を持ってなかったのだろう。
樋口氏が「大学は問題だ」と言っていたのもおそらくはこういう文脈での話。
自分の場合、ひきこもり期間は大学に入る前にあったのでちょっと事情は違う。むしろ脱出後の回復を大学内で行ったという感じだ。「大学のヌルさ」が多くのひきこもりを生んでる一方で、自分の場合は、大学がヌルいところであったために大学に通うことが出来て、完全脱出までこぎ着けることができた。大学での人間関係の薄さやプレッシャーの無さは自分にはとても好都合だった。
*1:ひきこもりとウェーバーの研究者 http://slowlearner.oops.jp/blog/