ダイアローグとモノローグ

これは決して皮肉ではなく、ごく素朴な感想なのですが、皆さん本当に「議論」や「論争」をせずにはおれない状況なのだな、と。
id:cafe_noir:20050125

id:cafe_noirさんの言われるように「議論」は多い。特にはてなダイアリーには多い気がする。


自分がはてなダイアリーに来たのもこの「議論」がある所だからというのが一番の理由。議論をしたいというよりも議論を読んで自分がものを考えるときの参考にしようと思ったのだ。


もちろん不毛な議論もある。


じゅげむじゅげむさんと1のヒキコモリ日記の57Yg1TYpWMさんが1月10日前後に行っていた論争は無益だった。自分は貧しいというじゅげむさんに、ネットにつないで、文字が書けてあなたが一番貧しい訳ではないだろうという57Yg1TYpWMさん。夢に向かって直向に努力して欲しいという57Yg1TYpWM氏に対してキレるじゅげむ氏。


id:sugitasyunsuke:20050113ではフリーターの惨状を理解しろというワタリさんが長文コメント。ロジックは無茶苦茶だが、オレはキレてる!というのは伝わってきた。これは議論というよりもケンカに近いか。。。


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議論は1人で行うことも可能だ。


社会学でも哲学でもそうだが、論文を書いたり研究をすることを「議論する」と言うことがある。「議論」は英語でいうと「ダイアローグ(dialogue)」になる*1。"dia"とは「2」を表す言葉。だからダイアローグは二者間で対話をすることだ。


社会学や哲学で「議論する」というのは2人で行うものだけではなく、自室で一人で論文を書くときも「議論」をする。つまり、批判する人間をもう一人置いて、そのもう一人の自分と「議論する」ことによって論文を書いていくのだ。ただ、自分の思いついたことや感情を書き取っているだけでは、独りよがりな奇妙奇天烈なものができるだけだ。一人であっても「議論」という方法を取らないと生産的なものが生まれない。


一人あっても二人であっも複数人であっても、生産的な議論をするべきだ。しかし、ネットには上にあげたような、論争のための論争や、自分の弱者性をアピールするための論争がしばしば存在する。


cafe_noirさんの言われるように「議論や論争の「意味」」を考えざるを得ないものもある。それは、きっと「ダイアローグ(議論)」というよりも、むしろ「モノローグ」に近いものだ。怒りにまかせて書き込みをしたり、相手をやっつけたり。これは相手に対して何かを期待する態度ではない。対話でないならそれは「モノローグ」だ。


ひきこもり中には一人でいる訳だから「モノローグ」が多くなってしまう。どうにもならない問題を永遠に考えている。「ダイアローグ」があってこそ出口がみえるというもの。「モノローグ」ばかり続けていると、そのうち考えることにさえ疲れていってしまう。


大学生の抱える不安も女子高生が抱える不安も同じだ。id:about-h:20050112


彼らは「モノローグ」を繰り返さなように、ダブルスクールやコンパや遊びに熱を上げる。動いていれば「モノローグ」はしなくてすむ。遊んでいれば仲間同士でコミュニケーションも生まれる。言葉の垂れ流しで意味がないという人もいるかもしれないが、モノローグだけの世界よりもはるかにマシだ。


id:SUISEIさんはこんな言葉を使っていた。

今思うのは、止まっていたときの頭でっかちで自家中毒な状態の情けなさを考えたら、何であれ動いているほうがマシだということ(これは自分の価値観で、誰もがそうだとは当然思わないけれど)。だから、止まるわけにはいかないと自分自身に言い聞かせる。
id:SUISEI:20050114

SUISEIさんの言われることは痛いほど分かる。実は自分もSUISEIさんと同じ事を自分に言い聞かせている。


しかし、ひきこもりは動こうとは思ってるけども動けないものだ。動けと強制するのは酷だ。でも、どんな「ひきこもり」にも何度か脱出のチャンスがある気もする。そのチャンスを見逃さず少しでも動いてみることがやはり脱出につながるのではないだろうか。


それとやはり「モノローグ」よりも「ダイアローグ」をということなんだろう。相手を罵倒するための「議論」とは名ばかりの独りよがりな「モノローグ」であったり、「モノローグ」を永遠に続けることをやめることが必要であろう。


大学生のダブルスクール*2には、ある特徴がある。


大学生のダブルスクールは実のところ「英会話学校」がダントツに多い*3。彼らのほとんどは英語を使った仕事に就くわけではない。それでも英語を勉強してる。実用性の面から言えば無駄だ。毎月1万円ほどの授業料を払って、英語が話せるようになるわけでもない。


しかし無駄ではない。なぜなら、たとえ実用的でなかったとしても、英会話学校に通うことで将来不安を一時的にでも忘れることができる。忘れている間は「モノローグ」をしなくなる。だから、それはそれで価値があること。


そういう「無駄」がきっと必要なのだ。

*1:対立概念は「モノローグ(monologue)」

*2:大学とは別にもう一つの学校に通う大学生のこと。英会話学校、公務員・会計士専門学校などに通う

*3:男子38.8%、女子35.3%溝上慎一編,2002『大学生論』ナカニシヤ出版 : 29.の表を参照した