社会学の判断とは?

社会学の判断とは



「風が吹くと桶屋が儲かる」ということわざがある。


風が吹く→砂ぼこりが舞う→目に入る→目が不自由になる→三味線弾きが増える→三味線の材料の猫の皮の需要が増える→猫が減る→ネズミが増える→ネズミによって桶がかじられる→桶の買い換え需要が増える→桶屋が儲かる。だから「風が吹くと桶屋が儲かる」。


このことわざに見られるように、何に何が影響しているか完全に知ることはできない。もしかしたら風が吹いたら本当に桶屋が儲かっているかもしれない。可能性はゼロではないだろう。


しかし社会学は「風が吹くと桶屋が儲かる」を正しい判断とは考えない。社会学の判断とは、関連が見えるものに限られる。例えば銭湯ブームが起こって、銭湯で使われる桶の需要が増えて桶屋が儲かった、というものなら見ることができる*1


以前読んだ本にこんな例え話が載っていた。

「難しいように感じるかもしれないがロケット科学じゃないんだ」という決まり文句が英語にはあるそうだ。公共ラジオのあるレポーターがこのことに興味を持って、ロケット科学者ならこの表現をどう表現するか聞いてみると「難しいように感じるかもしれないが理論物理学じゃないんだ」と言ったのだとか。さらに理論物理学者に同じ事を聞いたら「難しいように感じるかもしれないが社会学じゃないんだ」といったそうだ*2


ロケット科学<理論物理学社会学の順番で「複雑性」*3は増す。つまり自然を相手にしているよりも、人間活動を相手にしている方が複雑で予測が立ちにくいのだということだ*4


社会学で仮説検定が行われたとしても、100%の確率でその仮説が当てはまっているわけではない。例えば「良い大学に行けば良い職業につけて高収入が望める」というもの。世間では「もうそんな時代ではない」と言われながらも、子供も私学に通わせる親の増加などを見ている限り、この仮説は割と信じられているように思える。


しかしこの仮説の説明力は10%台である*5。そして、世間の認識とは裏腹に、昔からこの仮説の説明性はたいして高くなかった*6。以前ここに書いたパス解析*7では、このモデルで説明できるのは10%〜20%であることがわかる*8社会学ではこの値を高いと考えるが、世間の認識からいうと「そんなに低いのか」という判断がされるように思う。世間的に言われているほどには効果はないし、学歴社会が過ぎ去って実力主義になった訳でもない*9


統計で確かめられるものは100%を意味しているのではない。だから計量結果に当てはまらない人がいるのは当然のことだ。子供の億万長者もいれば、親の収入が低いのに高学歴で高収入の人もいれば、収入のないはずの専業主婦が発明王になって大金を手にするということもある。


しかし社会学は「学歴があれば世間的に良いとされている職に就ける」と判断する*10。学歴と職歴に強い相関があるのは間違いない。これに対して学歴が無くても大金持ちの人もいるという反例があげる人がいる。例外があるのだからそんなことは言えないのではないか?ということだ。


しかしこれは反論とはならない。なぜなら「反例」と「傾向」は異なったものだからだ。例え例外が存在していたとしても傾向が存在する。社会学は100%を説明するものではなく、必ずそこには例外が存在している。


社会学なんて限定をつけなくてもこれは当たり前のことだろう。


例えば、以前にたまごっちの大ブームということがあったが、ブームが起こったからといって日本国民全員がたまごっちをしていた訳ではない。たまごっちをやってない人もいた。というよりも、日本国民全体で見ればやっていない人の方が多かったはずだ。


たまごっちブームという人に、たまごっちをやっていない人を反例として持ち出して、たまごっちはブームなんかじゃないと言ったとしよう。しかし、それはその人がやっていないだけであって、流行と認識できるだけのたくさんの人がたまごっちをやっていたのだ。だから、たまごっちはブームだと言って差し支えない。


韓流・ヨン様ブームも同じだ。ブームが起こっていると言っても、日本国民が全員ヨン様のファンということではない。しかし、ヨン様にのめり込んでる人は多いし、韓流がマーケットを動かすほどの力を持ったのは間違いない。ヨン様が嫌いの人を反例として出して、ヨン様ブームや韓流が起こっていないと主張することはできない。反例はあくまでも反例であって、例外があるから傾向(ブーム)が無いと言うことはできない。


ロケット科学の話を思い出してもらいたい。ロケット科学は予測不可能なことが頻発する。チャレンジャー号の爆散事故に代表される事故が起こる。そして事故は決して低いとは言えない確率で起こる。しかし事故が起ころうともロケットは飛ぶ。


一言で言うならば「確率」の問題だ。つまりロケットが80%の確率で爆散するようではロケット科学は成り立たないが、事故は起こすかもしれないが確率でロケットが飛ぶならばロケット科学は成り立つ。同じように、社会学の説明に反する例があろうとも、高確率で学歴と職歴には相関があると言える。


つまり社会学の判断とは確率が高いか/低いか(=蓋然性[probability])ということなのだ。


では、社会学の判断に対しての反論とは何か?


もちろん反例を出すことではない。もし「高確率で学歴と職歴には関係がある」という社会学の判断があるならば、それは決して高確率ではないという証拠を出すことが反論になり得る。つまり、全体的な確率(傾向)として、反する証拠を出すことである。


「風が吹くと桶屋が儲かる」というのは確かに正しいかもしれない。しかし、そのようなことが事が起きる確率はものすごく小さい。社会学はそのような確率の低いものを「関連がない」と判断する。


これが社会学の判断である。

*1:もちろん現実に起こってないので仮定の話

*2:Michael Hechter, Christine Horne, 2003, Theories of Social Order: A Reader, Stanford Univ Pr: 9, ホマンズの章の冒頭エピソードを要約

*3:イリヤ・プリゴジン

*4:こういう主張は一般的だが個人的にはこの主の議論に有効性を感じない。というのは、社会科学の科学性を主張する人間は物理学などとの共通性に焦点を当てるが、社会科学の独自性を主張する人間は相違性をに焦点を当てるだけであるからだ。結局、自身の立場性の表明しているだけに思える。

*5:つまり、世帯収入の分散を年齢・学歴・職業威信で説明できるのが10%台

*6:というよりも最近になるにつれて説明力が上がっているという方が正確

*7:「年齢」→「教育年数」→「職業威信」→「世帯収入」

*8:決定係数(Rの2乗)は0.117[1975],0.131[1985],0.164[1995],0.180[2003]。学歴と職歴の相関係数は0.430[2003]、職歴と収入は0.392[2003]、学歴と収入は0.257[2003]。どれもが非常に高い相関関係がある。以上はSSMのデータ(男性)を使用

*9:むしろ学歴社会(メリトクラシー)強まっているとも言える。一方では「変わらず」(盛山・直井)という意見もある。ちなみに実力主義に関してはこのモデルでは言えない

*10:学歴と職歴の相関係数は0.430[2003]