ひきこもりの定義(勉強会でのメモ)

「ひきこもり」について話そうと思うと、「ひきこもりとは何か?」という線引きをしなければならない。つまり「ひきこもりの定義」の問題だ。

 いろんな定義をみてみると、当たり前と云えば当たり前なんだけど、その人がどのような立場で「ひきこもり」現象にかかわっているか、ということによって、定義の仕方が違っていることがわかる。いわば、これらの定義は実践的活用を前提として組み立てられている。だけど、受けとる側はしばしばそうした文脈を離れているから、そこの意味合いがわかりにくくなるのかもしれない。

a. 斎藤環精神科医療のための定義(6ヶ月以上という目安、状態のみの定義)
b. ガイドライン→精神保健福祉のための定義(包括的なぶん曖昧、社会化)
c. 塩倉裕→ジャーナリストとしての定義(問題の特定、本人の意思ではない)
d. 工藤定次→訪問活動のための定義(本人の意思も含む、介入の正当性)

id:knotさんの言うように、定義考え方や立場によって違う。


「ひきこもり」という概念はそもそも「残余カテゴリー」である。社会参加をしていないが精神障害が原因ではないというように、マイナスで定義をされている。また「ひきこもり」は一般的に使われる「ひきこもる」の名詞形であるので、広い意味で捉えることができる。

ニートとひきこもり

では、ニート(無業者)という定義はどうなのか?

ここで着目した若年無業者は、(1)高校や大学などの学校及び予備校・専修学校などに通学しておらず、(2)配偶者のいない独身者であり、(3)ふだん収入を伴う仕事をしていない15 歳以上34 歳以下の個人である。以下、無業者と記した場合、上記の定義による「無業者(通学、有配偶者を除く)」の個人を意味する。
若年無業者に関する調査(中間報告)

ひきこもりは通常は就労をしないので、ニートの中にひきこもりは含まれる。


玄田有史は『ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』で次のように書いている。

 ニートは働こうとしていないし、学校にも通ってない。仕事につくための専門的な訓練も受けていない。英語の"Not in Education, Employment, or Trainingの頭文字"(NEET)から、ニートはきている。
 その姿は、ひきこもりに似ているが、ニートのすべてがひきこもりのわけではない。ニートには親や家族に生活を依存しているパラサイト・シングルも多いが、だからといって気楽に親のスネをかじっているわけでもない。

玄田有史 ・曲沼美恵,2004,『ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』幻冬舎 : 10

これらから漠然と考えられるのは次のような図だ。



「ひきこもり」が「ニート」に含有される図だ。


樋口明彦は次のように定義をしている。

  • ひきこもり(友人がいずに、働いていない)
  • ニート(友人はいるが、働いていない)
  • 離転職リピーター(アルバイトを繰り返している)

このように定義する根拠は「支援」の在り方が違うためと樋口は説明をしている。

図に表すと次のようになる。



ひきこもりがニートに含有されるとしても、それは別物であるという定義だと解釈される。


しかし、この定義の背景には「戦略」も見えてくる。つまり、ひきこもりがニートに含まれるならば、ニートを糾弾することはひきこもりを糾弾することになる。不運なことに「ニート」とは働かない人のことなので、ニートは道徳的糾弾の対象になる。


そこで、ニートとひきこもりを分離するという戦略をとる。ニートとひきこもりは違うのだということを定義で言ってしまえば、ニートへの糾弾はひきこもりには届かなくなる。つまり、ひきこもりを防御するための定義とも考えられる。

貴戸理恵著『不登校は終わらない』に対する見解(東京シューレ)

貴戸理恵著『不登校は終わらない』に対する見解東京シューレ

まだ全部読んでないが、奥地圭子を(実名で)批判したであるとか、インタビューを受けた人たちが騙されたということが書かれている。これらは事実と異なるし、言いがかりに近い。


巻末には東京シューレ貴戸理恵に出した修正・削除リストも載ってる。


貴戸理恵の公式的な反論が欲しい。