ひきこもりの定義(勉強会でのメモ)

「ひきこもり」について話そうと思うと、「ひきこもりとは何か?」という線引きをしなければならない。つまり「ひきこもりの定義」の問題だ。

 いろんな定義をみてみると、当たり前と云えば当たり前なんだけど、その人がどのような立場で「ひきこもり」現象にかかわっているか、ということによって、定義の仕方が違っていることがわかる。いわば、これらの定義は実践的活用を前提として組み立てられている。だけど、受けとる側はしばしばそうした文脈を離れているから、そこの意味合いがわかりにくくなるのかもしれない。

a. 斎藤環精神科医療のための定義(6ヶ月以上という目安、状態のみの定義)
b. ガイドライン→精神保健福祉のための定義(包括的なぶん曖昧、社会化)
c. 塩倉裕→ジャーナリストとしての定義(問題の特定、本人の意思ではない)
d. 工藤定次→訪問活動のための定義(本人の意思も含む、介入の正当性)

id:knotさんの言うように、定義考え方や立場によって違う。


「ひきこもり」という概念はそもそも「残余カテゴリー」である。社会参加をしていないが精神障害が原因ではないというように、マイナスで定義をされている。また「ひきこもり」は一般的に使われる「ひきこもる」の名詞形であるので、広い意味で捉えることができる。