唯一性をめざして

id:ueyamakzk:20050104でid:ueyamakzkさんは「属性と課題の峻別」を唱えている。この峻別の動機となっていることの一つに「当事者による不幸競争」からの決別ということがあったのだと思う。

ひきこもり当事者は、「あまりにも弱い自分は、強い連中に搾取されている」という強烈な被抑圧意識を持っていることが多く、それが身近な「自称当事者」(と見える者)に向かいやすい。本来は「本物の社会的搾取者」に向かうべき反抗のエネルギーが、「お隣さん」に向かってしまうやりきれなさです。

ひきこもり経験者にとって自分のひきこもり体験というのは唯一のものだ。とてもユニークで特別なものだと思っているんだけども、他の人の体験を聞いてみるとその人も似たようなものだと気づかされる。真剣に悩んで社会からこの世の終わりのように逸脱してしまったはずなのに、そんな脱落でさえ普通にあることだったりする。


まるで釣り銭をごまかされたときのように損しただけで何も得られない不条理な気分だ。


ここから「当事者による不幸競争」というものが開始される。


「当事者による不幸競争」とは「自分こそが真のひきこもりだ」という「属性」のアピールのし合いであり、どうやって自分をひきこもりとしてのアイデンティファイしていくかということに熱意が注がれる。「純粋ひきこもり」としてのアイデンティティを獲得すること。「不幸」を語って自分がより「純粋」な存在だと定義することが目的になる。


純粋ひきこもり」のアイデンティティを獲得できれば、たとえ世間で疎まれるような属性であっても、「ひきこもりの中のひきこもり」という「唯一性」が獲得できる。


「当事者による不幸競争」では戦いが起きるがその戦いは手段に過ぎない。その戦いの先には「ひきこもりの中のひきこもり」という「唯一性」の獲得が存在している。つまり「当事者による不幸競争」とは戦うことが目的でもなく、他人より自分が優位な位置(弱者の中の弱者)に立つのが目的でもなく、「唯一性」の獲得をすることが真に目的とされることなのだ。


どんなことであっても唯一な存在でありたい。


不幸競争はこのような願望の表象として噴出してくる。