平坦ではない戦場で僕らが生き延びること

「平坦な戦場で僕らが生き延びること」とは探しても見つからない「唯一性」を見つけることだった。そして「当事者による不幸競争」も「唯一性」を見つけることだ。両者とも「唯一性」を見つけることは共通している。しかし両者には明確な違いがある。それは、ひきこもりの生活は決して平坦ではないということだ。


ひきこもりは周りから見れば何もしていない日常に見える。しかし、id:ueyamakzkさんも書かれているようにひきこもりは「四六時中空転する戦闘行為に意識を忙殺されているので、合理的な日常生活・職業生活ができなくなってしまっている」のだ。


戦う相手も見つからず疲れて「平坦な戦場」にいる人がいる一方で、ひきこもりは日々戦いを強要される。


「平坦な戦場で僕らが生き延びること」ではなく「平坦ではない戦場で僕らが生き延びること」。


のっぺりした日常ではなく、隆起したり陥没したりする非日常がひたすら続き、そんな非日常を日常として生き続けなければならない。そしてその「平坦でない戦場」で唯一性を求め続けていかなければならない。そうして生き続けていかなければならない。したくないのにしなければならない。


ひきこもりの生はひたすらに「しなければならない」が続く。