唯一性の前提となるもの


「思考」を行うにはさらに「知識」と「時間」が前提となる。


何かを考えるには「知識」が必要である*1


また、思考には知識だけではなく、時間も必要とする。


例えば、大学生が抱える「不安感」は「思考をする時間」によって生み出されると捉えることが出来る。(id:about-h:20050105 id:about-h:20050112)


大学生の持つ不安は多くの場合「将来不安」であることが多いが、何年先の自分がどうなっているかということなど分かるはずもない。仕事に追われるなり、勉強に追われるなりしていて、一週間先や数ヶ月先を見通すことに神経が集中していればいいが、イベントが何も無く、ただただ平坦な生活が続いていくと、少し先のことを考えることから、一気に飛躍して人生や諸行無常について考えるところまで極大化され純粋化されていってしまう。


一方で、大学生は就職後の生活の知識をあまり持っていない。大学までは「学校」という空間の中で生きてきたために、就職後の生活については未体験だ。だから、知識が欠損している。にもかかわらず、時間があって思考をすることだけは行われる。


知識の欠損は思考から具体性を取り除いてしまう。現在持っている少ない知識で物事を考え、足らない部分は想像で補われる。


結果としてひどく抽象的な思考に陥るのだ。しかし、思考する時間だけは余るほどある。


この状態が大学生の不安を煽ることになる。


同じ状態が「ひきこもり」にも当てはまる。


他者とのコミュニケーションから切断されることによって「知識」*2が欠損状態になる。しかし、思考する時間は余るほどある(大学生とは比べものにならないくらいに)。これによって思考は理念化し純粋化し、「唯一性」への希求は加速される。

*1:「知識」については例えば「幸せ」を考えるとわかりやすい。「欲しいもの」や「なりたいもの」というのは「知識」がなければ生まれない。ゲーム機が欲しいという欲望はゲーム機というものが存在するという知識がなければならない。つまり、欲望には知識が前提として必要とされる。◆同じように裕福な生活というものを知らなければ貧乏というものはそれほど苦痛ではない。「知識」がなければ、裕福な生活を想像することが出来ないために現状で満足をすることが可能になる。◆「唯一性」というものはどんなものでも特定の知識に関連している。例えば「勉強が出来る存在でありたい」という「唯一性」は「身の回りで勉強が出来るか?」という知識に依存している。「中学校のクラスで上位だった」という自己認識があるとすると、その知識が元になって、「勉強が出来る存在でありたい」という極大化・純粋化が生まれ「唯一性」へと希求が始まる。◆このような「身の回りでの認識」を元にした極大化・純粋化は「ひきこもり」に広く見られる事のような気がする。

*2:社会の知識も自分に対する知識も