SUISEIさんへ


唯一性はやはり求めざるを得ないと思います。ただ、その方法がとても難しい。宮台真司も言っているように、宗教に唯一性を求めたとしても新興宗教だとかでは底がすぐ見えてしまい「ここ違う、あそこも違う」というように「渡り鳥状態」になるんだとおもいます。(←『終わりなき日常を生きろ』ですね。なんだかなつかしい(^_^;)


唯一性はきっと「忘れる」しかないのだと思います。id:SUISEI:20050114で書かれているように「止まるわけにはいかない」というのが正解な気がします。自分の場合もそういう感じで生きていますし、出来る限り「忘れる」ことにしてます。


これを書いていて、少し気になったことがありました。

  1. 現在の社交的タイプ……解離 場によって人格が変わる うまく生きる
  2. 現在の内向的タイプ……退却 純粋性を求める     まともに生きる

このように宮台真司は分けてると思うのですが、、解離タイプの人間って解離的になればなるほど、退却的要素が出てくる気がするんです。つまり、「本当の自分」的なものを隠して解離的に振る舞うと、常に「この場面での自分は本当の自分ではない」と意識し続けることになる。そうすると逆説的に「本当の自分」なるものを補強していってしまうのではないかと。「本当の自分」っていうのはもちろん存在していなくって、夢幻(それこそ唯一性の極地)なんだと思いますが、解離しつづけると「本当の自分」というものが逆に強いものとして現れてくる気がするんです。


宮台さんの文献で何かこのことについて言及してるものを知ってたら教えてください。


あと、解離と退却についてid:SUISEIさんの実感みたいなのがあれば、それも教えてもらえると嬉しいです。