日本社会学会

日本社会学会というのは社会学で最も大きな学会。昨年11月に熊本大学で開催され「ひきこもり」というテーマも「社会病理・逸脱」部会で取り上げられていた。

    • 「ひきこもり」の悪循環過程再考 ――当事者へのインタビューから――
      石川良子 (東京都立大学)
    • 引きこもり経験者と〈社会〉参加 ――実践コミュニティ理論の視点から――
      荻野達史 (静岡大学)
    • 引きこもりの回復過程と家族 ――「親が変わる」という戦略の両義性――
      川北稔 (名古屋大学)


全体な感想としてはやはり「精神医学」に引きずられている。もう少し臨床から離れた議論をする必要があるのではないか。社会学は「社会」学なのだから、社会との関わりで「ひきこもり」を論じるべきだと個人的には思う。*1


この日の発表の内容だがごく当たり前のことが多い。フィールドワークというものはみんなが知らない情報を持ち出してくるという役割を持っているので、親の会などに入って情報を持ち出すことには価値を認める。しかし斎藤環氏をはじめとした啓蒙活動によって、ここで発表されているようなことは周知の事実となっているように思われる。新しい視点の導入を期待したい。


先日の日韓会議でも斎藤環氏は「なぜひきこもりになったか、よりも、なぜ抜け出せないかという方が重要である」と言われていた。斎藤氏のいう原因探しとは犯人捜しに化けるようなものだ*2。責任をなすりつける原因探しは無意味だが、日本にひきこもりがうまれた理由を探すことは決して無駄ではない。やはり社会学はこのことを課題として追っていくべきだと思う。


それぞれの発表について。

*1:アメリ社会学は「個人化も社会によって決定されている。個性的になれと社会に決定されていると考える。パーソンズにおいて明確に現れるパースペクティブであるが、パーソンズが葬り去れた現在のアメリ社会学においても中心的な考え方でありつづけている。従って「ひきこもり」のような社会から「孤立」した存在も社会学は扱うことができる。

*2:例えば、ひきこもりの当事者が「親が悪いから自分はひきこもりになった」というようなことをいったり、父親が母親に向かって「おまえの育て方が悪い」と責任回避したりすること