正しい引きこもり方の提唱

芹沢俊介はこの本の中で「正しい引きこもり方」を提唱している。


正しくひきこもれば必ず回復する。でも、もし、正しくひきこもることができなければ長期化や暴力や犯罪が起こると芹沢は言う。


彼にとって「正しいひきこもり」とは何なんだろうか?

 こんなふうに引きこもりにはプロセスがあるのではないかと考えたのです。往路→滞在期→帰路(復路)というプロセスをたどるとき、その引きこもりは正しい引きこもりである、と私は考えました。

−−芹沢俊介, 2002『引きこもるという情熱』雲母書房 :81

どうやら自力で脱出してくるひきこもりのことが「正しい引きこもり」であるようだ。ということはそれ以外のひきこもりは「正しくないひきこもり方」だということになる。


芹沢は支援団体や精神科医の介入が不要であるという認識をする。彼のロジックは以下のようになっている。(1)周囲が何も手出ししなければひきこもりは短期間自力脱出する(2)支援団体・精神科医が介入(邪魔)する(3)長期化する。これは「正しい引きこもり」ではない芹沢は言う。


このロジックのどがおかしいかというと、決定的におかしいのはひきこもりは放置しとけば脱出するという認識だ。


芹沢は、自力脱出するひきこもりを「正しい引きこもり」と呼んで、「「正しい引きこもり」についての提案をしたい」(81頁)という。しかし、自力脱出するひきこもりにとって支援団体や精神科医が不必要なのは当たり前の話。そんな団体が無くても彼らは脱出できる。しかし、それは自力脱出組だけに限ったことであり、ひきこもり全体に当てはまることではない。


芹沢にとって短期間・自力脱出が「正しい」形。そして、それ以外のひきこもりは「正しくない」形なのだ。


短期間・自力脱出をする「正しい引きこもり」は比較的無害である。しかし、それ以外の引きこもりは長期化して周りに迷惑をかけたり、親などに暴力をふるったり、ストーカーをして殺人をしたり、バスジャックをしたりする。


芹沢は「正しい/正しくない」という区分けを作って「ひきこもり」の闇の部分を葬り去っているばかりでなく、正しくないひきこもりを、ひきこもり方が間違ってるのだと言わんとしている。


芹沢は「私の姿勢は一貫して引きこもり現象を肯定的にとらえようとするもの」(3頁)というが、彼の正しい引きこもり論を見ている限り、引きこもり現象を肯定的に捉えようとしているように思えない。もしひきこもりが長期化や暴力や犯罪を起こすと、彼はそれは間違った引きこもりだからと言うのだから。


ひきこもりは人畜無害な存在として構築するのは芹沢の勝手だが、しかし、ひきこもりは人畜無害ではないし、長期化・暴力を含めて多くの闇の部分をもっている。


彼はそんなひきこもりを肯定できるのだろうか?