漱石とひきこもり



『「ひきこもり」と漱石の視点』と題された論文を見てみたい。著者は精神科医・立花光雄(大阪府立精神医療センター院長)。


この論文では使われる「ひきこもり」という言葉はどうも違和感がある。

漱石の小説には「ひきこもり」の問題も繰りかえし出てくる。もっとも、漱石は「ひきこもり」という言葉は使わず、これを高等遊民と呼んでいる。彼らは資産があるので仕事をしなくても食べるのに苦労しないし、全員が東京帝国大学の卒業生であるという点において高等なのである。今の東大と違い、大学がまだ数えるほどしかなかった明治の終わりから大正初期にかけての東大であるから、彼らは全員がエリートである。仕事をする気になればそれなりの口がある。つまり、失業者ではない。これを激石は高等遊民と名付けた。

−−立花光雄,2002「「ひきこもり」と漱石の視点」,高木俊介編『ひきこもり』:142 (強調筆者)

これは「ひきこもり」なのか?
むしろ、「働いたら負け」と言ってたニート君が近い気がする。

 第2の事例は「それから」の主人公の永井代助である。彼も大学を出てからなにもせずに実業を営む父と兄から金をもらって暮らしている。書生とばあさんを置き、西洋の書物を読み、社交の場に出たり、兄嫁と歌舞伎にいったりする優雅な生活を送っている。

−−立花光雄,2002「「ひきこもり」と漱石の視点」,高木俊介編『ひきこもり』:144

うらやましい限りの生活だ。


米澤嘉博高等遊民が「娯楽や趣味に多額の金をかける」という性質を持つので、現代で言うと「オタク」のような存在であると分析している*1米澤嘉博の言うように、高等遊民は「オタク」と言った方が当てはまる。いわゆる「ひきこもり」からはかなり遠い存在である気がする。


立花光雄氏の「ひきこもり」認識は、ひきこもりではない人が数日部屋にいた時のことを言っているのではないだろうか。

ひきこもるようになったとしても、「3日ひきこもったのでストレスから回復して元気になった」ということと、「3年間ひきこもっても楽になるめどがたたない」ということでは,生じている現象が異なっていると考えられます。

−−厚生労働省,2003「10代・20代を中心とした「ひきこもり」をめぐる地域精神保健活動のガイドライン

「ひきこもりガイドライン」はこのように書いているが、この2つを混同している人が多く、立花氏もその一人なのではないかと考えられる。


立花氏が「ひきこもり」をどのように捉えていようと別にかまわないのだが、彼は精神科医であるので、職務上の問題がある。先日の淡路プラッツのイベントで精神科医近松典子さんは「精神科医を選ばなくてはならない」と言っていたが、立花氏の論文を読んでると、確かに選ばないといけないなというのが実感できる。


この本の編者・高木俊介は「私たちは「ひきこもり」を定義しない」(4頁)と言っているが、ここまで拡大解釈をされるとやっぱりある程度の線引きはした方がいいのではないかとも思える。それに、わざわざ「高等遊民」を「ひきこもり」と捉えるメリットなんてあるんだろうか? 


漱石の『それから』の主人公は、書生とばあさんという非家族と常時対面のコミュニケーションをしている。社交の場には出かけていけるし、兄嫁と歌舞伎に行ったりもしている。就労はしていなくとも少なくとも○○障害とつくようなメンタル面でのトラブルはないし、外出は自由にできるし、対人恐怖もない。*2


そればかりか、引用部分にあるように贅沢で浪費生活をしている。


つまり、これだ。


「家が金持ちだから働かず趣味に生きる人たち」


=「高等遊民


=「ひきこもり」


=「贅沢病」



要するに説教。。。


この論文で説教をしていなくても、説教をし始めるにはあと一歩だ。

*1:オタク現象は高等遊民の大衆化と解釈できる

*2:漱石の『それから』を読んだのはずいぶん昔で記憶が曖昧だが、主人公が持っていたトラブルというのは、id:about-h:20050224で書いた岡崎京子の『リバーズ・エッジ』での「平坦な戦場」という言葉に近かったように思う