評者に対する評
評者は「シンポジウム」と「ボランティア」を対比し、貴戸をシンポジウムと位置づけている。
ボランティアならば、あらゆる子どもとリアルタイムで接するのでそういう事はありません。
このように評者はボランティアこそが不登校を一番知ることが出来るのだと主張している。
この評者は貴戸に対してラベリングをいくつか行っている。
「貴戸は不登校経験者だ」とラベリングするのが普通なのだろうけども、評者は絶対にこれを行わない。
いくつかのラベリング
- 地に足がついていない
- 門外漢
- 百人の聴衆のいるシンポジウムの派手さしか知らない人間
- 不登校を研究材料としか見ていない
しかし、なぜか「貴戸は不登校経験者だ」とはラベリングしない。
これをすると、恐ろしいことが起こるからだ。
つまり、当事者よりボランティアの方が不登校を正しく語れるということになる。この評者の価値観中では、貴戸や「明るいばかりじゃない」と語る当事者たちは、不登校をちゃんと分かっていないことになる。
不登校の当事者の語りを集めた本に対して「地に足がついていない」だとか、「シンポジウム」だとか、「門外漢」だとかを持ち出して批判をする。これらのラベリングがどれも的はずれで中傷でしかないのは当たり前のことだが、このくらい不当なラベリングをしなければ、評者は貴戸に勝つことができない。
属性の戦いで評者は完全に貴戸には負けている。
それでもあえて戦いを挑み「ボランティアヽ(´ー`)ノ」みたいなマヌケなことを言う。
よくわからないが、これはコメディなのか?