貴戸と評者の齟齬
基本的に評者が言いたいことはトレースできる。「研究は不登校を救うためにあるはずなのに、貴戸の研究は不登校救済を目的にしていないじゃないか」ということだ。
おそらくここには2つ予断がある。
一つは貴戸の研究は不登校経験者を対象としていて、就学の終わっても不登校を抱えて生きる人たちにインタビューをしていると言うことだ。だから『不登校は終わらない』は学校に行きたくないのに歯を食いしばって行っている苦しい不登校真っ最中の子どもたちを救うことを一番の目的にしているわけじゃない*1。
また、通学している半不登校やフリースクールに通学している子供だけが「不登校」ではなく、元不登校の人や不登校からひきこもりになった人も不登校なはずだ。不登校だった人に対して貴戸理恵・常野雄次郎の本は「ありがとう。そして、よくも言ってくれたわね!」*2となっているんではなかったのか?
「著者の研究は誰を幸福にしているのでしょうか?」と評者は言うが、誰かを十分に幸福にするだけの成果はあったのではないかと個人的には思う。*3
*1:もちろん不登校児童に携わる人にはメッセージになるし、『不登校選んだわけじゃないんだぜ!』の方は不登校真っ最中の人たちにもメッセージになると個人的には思う。
*2:『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』のオビ。この言葉自体は当事者の言葉ではないらしいが
*3:ちなみに、このブログは「フリースクールにも行けなくて引き込んじゃった人の語りが抜けてるよ〜」と不登校からのスライド組ひきこもりの話をしていた。id:about-h:20050212とか。もちろん抜けてたとしても貴戸の研究を批判する根拠にはならない。全部をカバーするのは不可能だからだ◆不登校には「選択の物語」があるが、ひきこもりには「物語」らしきものがない。あるのは一抜けの物語とひきこもりエリートくらい。自身を肯定する物語すらひきこもりには無いんだ〜という話も以前にエントリした。id:about-h:20050201 id:about-h:20050203