名付けの暴力

名付けるという第一の暴力が存在したのである。

−−ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』

1つ目はレヴィ=ストロースを取り上げた箇所で展開されるデリダの原エクリチュールによる暴力の問題である。私たちを取り巻く世界はカオスである。しかし、私たちはそのカオスに対して「名付け」を行うことによって、自分たちに認識可能なものへと変化させる。


「ひきこもり」の問題で言うならば、対象となる人間たちをどのように名付けるか?という問題になる。つまり「ひきこもり」と名付けるならばメンタルに問題を抱えたという意味合いが強制的に付加されるし、「ニート」と名付けるならば就労をしていないという意味が強制的に付加される。


ここに権力関係が存在する。つまり、名付ける者(強者)名付けられる者(弱者)の権力関係である。名付ける者は「名付ける」という行為を出来るので、名付ける者にとって都合の良い価値観をその「固有名」に付加することが出来る。一方、名付けられる者は受け身であるので受けたくはない価値観を強制的に受け入れなければならない。


これは一種の「暴力」である。


ひきこもり問題にはデリダの言う「第一の暴力」が存在している。