2005-01-01から1ヶ月間の記事一覧

日韓ひきこもり会議 − キム・ヒョンス

第3回日韓ひきこもり会議 3日目 インターネット中毒とひきこもりに関するシンポジウム 開田自治会館(長岡京市)1月10日(祝)13:30〜17:00

牟田武生「日本の若者のインターネット事情」

毎日新聞にネットゲームには「自分よりも力の弱い者を襲い、ストレスを発散する”悪魔の心理”があった」と言って物議を醸し出したことで有名な人物。参考リンク 牟田武生 1947年宮崎県生まれ。72年、不登校の相談、教育支援の場として教育研究所を設立…

日韓ひきこもり会議 − 牟田武生

第3回 日韓ひきこもり会議で個人的にとったメモ+ネット情報で補完という感じのものをアップ。テープとって起こしたものではないので誤りがある可能性があります。長いので何回かに分けて投稿します。 第3回日韓ひきこもり会議 3日目 インターネット中毒…

大学生と少女たち

溝上慎一は閉塞感を描き出した。大学生には消せない不安感があるから楽しそうにはしゃいで見せているんではないか。このような大学生像を出した溝上の議論にはリアリティーがある。 一見楽しそうに見える女子高生も同じだろう。彼女たちは「今」を意味する「…

少女たちの不安

高崎真規子『少女たちはなぜHを急ぐのか (生活人新書)』「若さへの信仰」が少女達には共有されているということがこの本では強調されている。 取材の中で、みんなに自分の年齢はいつかと尋ねた。すると、具体的な夢を持っている子は、一生とか、まだまだとい…

不安を払拭するためのコンパ

溝上慎一編『大学生論―戦後大学生論の系譜をふまえて』今ではサークル加入率も50%を切り大学生のコンパもやや控えめとなった。しかしまだコンパ文化というものは葬り去られた訳ではない。 一つは,大学入学以前の期待から大学入学後の失望への変容,言い…

大学生と女子高生

id:about-h:20050105の続き

引きこもりの回復過程と家族 ――「親が変わる」という戦略の両義性――川北稔 (名古屋大学)

「親が変われば子供も変わる」ということについての発表。「ひきこもり」の問題では良く聞く話だ。両義性とは「引きこもりの原因であるとともに初期対応の主体」であることを指している。 「ファミリー・アイデンティティ」という言葉がある。上野千鶴子がフ…

引きこもり経験者と〈社会〉参加 ――実践コミュニティ理論の視点から――荻野達史 (静岡大学)

レイヴとウェンガーの「実践コミュニティ」の理論を「ひきこもり」に適応しようとする発表。「ひきこもり」についての問題意識というよりも、エスノメソドロジーをひきこもり支援をする組織の中で実践しているという印象を受ける。発表内で触れられている「…

「ひきこもり」の悪循環過程再考 ――当事者へのインタビューから――石川良子 (東京都立大学)

「ひきこもり」の就労に関する問題点をインタビュー(2001年、2003年、2004年の複数回)を元にした発表。対象は「ひきこもり」を脱出した元・ひきこもり。時系列で本人の課題が語られているので興味深い。 斎藤環が対人関係の修復をひきこもり脱出のゴールとし…

日本社会学会

日本社会学会というのは社会学で最も大きな学会。昨年11月に熊本大学で開催され「ひきこもり」というテーマも「社会病理・逸脱」部会で取り上げられていた。 「ひきこもり」の悪循環過程再考 ――当事者へのインタビューから――石川良子 (東京都立大学) 引き…

第3回日韓ひきこもり会議

第3回日韓ひきこもり会議に行ってきました。 ホームページのアナウンスには無かったようですが、宮台真司さんがコメンテーターで参加されていました。生で見るのははじめてなもので、正直、感動いたしました。黒く小さく見えてるのが宮台さんです↑ 宮台さん…

サバルタンは自身をサバルタンと認識しているか?

ひきこもりの当事者は自身が「ひきこもり」なのかよく分からない可能性がある。これは自分がそうだったから言うのだけども、当事者であった頃は「ひきこもり」について知識があまり無く*1、自分を語る言葉を持っていなかった。 自分を語る言葉だけではない。…

サバルタンは語ることができるか(3)

id:about-h:20050108の続き。

脱構築の限界

スピヴァクは70年代にデリダの『グラマトロジーについて』を英訳した。80年代の末になるまでデリダが政治にコミットしようとしない中で、スピヴァクはデリダよりも先にポストコロニアル下での抵抗にデリダの方法を実践的に使用していた。 このエントリー…

サバルタンは語ることができるか(2)

id:about-h:20050107の続き。今回のエントリは方法論としての脱構築について。

サバルタンとは

「サバルタン」とはマルクス主義者アントニオ・グラムシが獄中にいるときに使った用語。もともとはマルクスの「プロレタリアート」の代替用語として使っていたようだ。代替する必要性があったのは獄中で「プロレタリアート」と書くと検閲が入るからとも言わ…

サバルタンは語ることができるか (1)

「不可視かつ無声、かつ自発性すら失われた人々」たる≪引きこもり≫について考えるのに、「サバルタン」「ディアスポラ」、あるいは「ポストコロニアル理論」を参照する必要にようやく気付いた(いまごろ)。 id:ueyamakzk:20041130#p1 スピヴァクの『サヴァ…

経験者がひきこもりを語る困難性

「ひきこもり」ということを語る動機は何なんだろうか? はてなには『「ひきこもり」だった僕から』の著者である上山和樹氏のはてなダイアリーがある。 Freezing Point これは経験者のはてなダイアリーだ。日記なのだからueyamakzkさんは毎日毎日「ひきこも…

(2)夢と実現への道の乖離

第三の問題点として、自身のやりたいことや将来の目標から出発して人生形成をはかろうとする場合、それを実現する場所や、何をどうすればいいかがわからないということがある。歌手になりたいと夢見て、「スター誕生」のオーディションに応募するくらいのこ…

(1)自分で課題が出来ない

「これが大事だ」「これをやれ」といろいろいって欲しいという者が少なからず出てくる。「規範や規則で縛って欲しい」などとはいわないにしても、課題やモデルは与えて欲しいと願っている。それが力強く与えられなくなったのが現代である。 −−溝上慎一,20…

溝上慎一『大学生論』

現代大学生論 ~ユニバーシティ・ブルーの風に揺れる (NHKブックス) いずれの学生にもいえることは、見通し、やりたいこと、将来の目標が認識レヴェルでとどまっており、リアリティある形で機能していないということである。やりたいことを見つけるだけでも難…

参考リンク

http://d.hatena.ne.jp/cafe_noir/20041229 http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20041101#p13

クレーム申し立て

id:about-h:20050103でも書いたように社会問題は誰かがクレームを申し立てないと社会問題とならない。声を上げないと誰も気づかず実態として問題があっても見過ごされてしまう。 従って「ひきこもり」の問題もクレーム申し立てが行わなければならない。しか…

カテゴリーの暴力

2つ目の問題はカテゴリーの問題である。 「ひきこもり」というのはカテゴリーである。つまり、共通の性質に着目して人々を一つのグループに囲ってしまう。しかし、個人は多様である。 カテゴリーをつくるということは、多様性を葬り去り、まるで一つのモノ…

名付けの暴力

名付けるという第一の暴力が存在したのである。−−ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』 1つ目はレヴィ=ストロースを取り上げた箇所で展開されるデリダの原エクリチュールによる暴力の問題である。私たちを取り巻く世界はカオスである。しかし、私た…

「ひきこもり」をめぐる暴力性

「ひきこもり」は多様である。 これはごく当然のこと。個人が多様であるのと同じく、ひきこもりと括られる人たちも一人一人違った存在だ。ひきこもり方も違えば、ひきこもった理由も違うし、本人を取り巻く環境も違っている。 ここには2つの問題系がある。…

社会構築主義

「ニート」というとこんなイメージがある→ 世間の人は「働かないダメな奴ら」というイメージを持ってしまってる気がする。「ニート」の主力勢力は「ひきこもり」。だから「働かない」ではなく「働けない」のが実状。決して怠けてる訳じゃない。この写真の彼…

精神医学について

講談社+α新書の「子供の心がわかる本」シリーズには以下のような帯が付いている 子どもたちはどこか病んでいる。しかし、それを克服する素晴らしさをもっている。 河合隼雄 河合隼雄は子どもたちが「病んでいる」と勝手に決めつける。偉い先生なのは分かる…

日記作成開始

「社会的ひきこもり」についてのブログをはてなに作成開始